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8/11・12 横浜市中区根岸町 | |
榊まつりは、根岸全村の祭りとして、300年以上前から続いてきました。 半農半漁の根岸の村民にとって、海には大漁と海上安全を、陸には五穀豊穣を祈願した祭り です。 戦後一時、途絶えていましたが、昭和60年に復活。現在は根岸町内会の氏子のみなさんが 保存会を結成し、ほぼ3年に1度の割合でみこしの渡御(とぎょ)を行っています。担ぎ手は 『榊じゅばん』と呼ばれる華やかな衣装を身につけ、顔を白塗りするという珍しい祭りです。 |
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☆今と昔☆ 昔は、昼は各町内をねり歩き、薄暗くなるとクライマックスの海上渡御となりました。 まだ、根岸に海のある頃の話です。不動下から海に入り、背の届く深さを西に進みます。 海の中では、榊の枝を数本引き抜き沖へ流し、大漁と海上安全を祈願。 八幡神社の下あたりから岡にあがりますが、海水をたっぷり含んだ榊みこしは、すごい重さだっ たそうです。 担ぎ手は最後の力を振り絞って神社まで担ぎ上げて奉還し、棟の榊の枝を神前に奉納して五 穀豊穣を祈願し、祭りは終わったそうです。 そして、残りの榊の枝は氏子達がことごとく引き抜き、1年のお守りとして大切に家に持ち帰り、 神棚に供えました。 海が埋め立てられ無くなった現在、海上渡御を見る事は出来ません。ただ、榊を供える事を知っ ている人だけ、最後に持ち帰っているようですが、年々その数も減ってきているように思います。 神棚のあるお宅が減っているからでしょうか? |
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☆榊襦袢(じゅばん)☆ 根岸の榊祭りは、元々裸祭りとも言われ、裸に下帯(褌)でした。 しかし江戸末期に外国人の遊歩道である不動坂が開通して外国人の往来も多くなり、明治の中 頃からは、裸は野蛮であるとの理由で町中での裸は御法度となりました。そして当然、榊祭りも 上衣着用となったのでした。 そこで、派手好きの村人は、女性の長襦袢を改造して、活動的な榊襦袢と、共布で手っ甲脚絆 を作り、誰か見間違うほどの厚化粧に紅をさし、色物の布でほうかむりをして、派手さを競い合う ようになりました。 この色とりどりの榊襦袢は祭りを一層華やかなものにして、たちまち奇祭として横浜の名物にな っていきました。 |
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榊みこしの前で | |
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山車だよ | |
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子供みこしの前で 「ボクも担ぎたいなぁ〜」 |
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![]() 京都帰省 |
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